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全日本パ・リーグ党宣言 (はじめに言葉ありき)



「純粋にパ・リーグを愛する会」が、日本中に名を知ろしめすキッカケとなった「全日本パ・リーグ党宣言」。
その巻頭を飾った一文です。
著者の宮田氏に2000・10・12、掲載許可をいただきましたんで、ここに掲載いたします。
この国のプロ野球は何か歪んでいる、と疑問を感じながらもプロ野球そのものを愛し、見続けている全国のファンの皆さん!
今からでも遅くない。
「私はパ・リーグです!」とハッキリ宣言しよう!!

全日本パ・リーグ党宣言

宮田親平(文藝春秋編集委員)

1987年7月25日初版

『セ・パ』の表記許すまじこれが「純パ思想」だ「巨人軍は不滅」ではありえない!
セとの別れ悲運!パ受難の時代パ・ファンは、当然ながら球場へ行く
パ、夜明のとき「ノーモア・ジャイアンツ」―後楽園に足立投手の銅像を
ドラマの誕生!'80年、興奮の日ハム・近鉄戦マスコミ史上に残る「一大誤報事件」
福本にこそ「国民栄誉賞」を!DH蔑視とこっけいな「純血主義」の崩壊
日本の「民主主義度」のバロメーター思想結社「純パの会」の成立!「反セ平和運動」
純パ運動のゲリラ戦術パの観客がセをしのぐ日ー――20世紀に残されたロマン
プラトンと故浦山桐郎の言を忘れまじチーム不調時にこそ球場へ!後書き


『セ・パ』の表記許すまじ

すべてのマスコミが「セ・パ両リーグ」という。
だれがこんなことを決めたのか。
昨年のドラフトで、ある選手がパに指名されたとき、某スポーツ紙は、彼は甲子園に出場せず、東都大学出身であるので、
「これで裏街道まっしぐら」
と書いた。
いったい何が根拠で、セが表でパが裏なのか。
ぼくらパ・リーグファンはこの俗説通説にプロテストする意味で、つねに「パ・セ両リーグ」と呼ぶ。

マスコミが「セ・パ」の表記を定着させてきたのは、セ・リーグが自分たちこそ1リーグ時代の日本野球連盟の後継者であると言う正当意識がそうさせたのであり、パ・リーグは分立してできたのだと言う蔑視が底流にあるらしいが、果してそうか。

事実は2リーグ分裂に際して日本野球連盟はいったん解散したのであり、したがって、「パ・セ」は「セ・パ」と同等の権利を持つ。
ではあとに何が残るか。
彼等の正統意識とは、ただプロ野球の自称家元「ジャイアンツ」を擁するという1点で支持されているにすぎない。

1昨年、「プロ野球50周年切手」なるものが発行された。
その家元チームの発祥をプロ野球元成としたものだが、ある野球通の考証によれば、真のプロ野球創成は阪急ブレーブスの前身。
そもそもがジャイアンツとは公共団体でもなんでもない。
だれが「新日鉄100周年切手」や「トヨタ自動車50周年切手」を発行するだろうか。
ぼくはこのような1私企業の宣伝に手をかす郵政省の暴挙に抗議する意味で、この切手の貼られた郵便物の受け取りを1切拒否した。(幸いにして1通もこなかったけど)

だがぼくにいわせれば、「パ・セ」をこそ正しい表現と主張するためには、そこまで歴史的に詮議する必要すらないのだ。
言語学的に「パ・セ」だけが成立し、「セ・パ」はありえないのである。
なぜなら日本語では第2音以下に破裂音Pがくるときには、その前は必ず「つまる」、すなわち促音になる。
「カッパ」「ラッパ」「デッパ」である。
「セッパつまる」とは言い得て妙ではないか。
「セ・パ」とは「セッパ」としか発音できないのである。

このトラブルの解決法は、「パ・セ」とする以外ない。
「パセリ」はあっても「セパリ」はないのである。
ムリヤリ「セ・パ」と発音しようとするから、日本人はみな「セ」と「パ」を少しあけてぎこちなく発音している。
これが「パ・セ」なら、「パ」だけをしっかり発音すれば、「セ」はあるかなしかのかすかな発音でことたりる。

こころみにキミは「パ・セ」と発音してごらん。
その快さにもう2度と「セ・パ」と口にすることはないであろう。
小さなことかもしれないが、1億2千万人が「セ・パ」から「パ・セ」に転向したときには、その省エネルギーは計り知れないのだ。

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これが「純パ思想」だ

そもそもがこのプロ野球に深く根を下ろす「家元制」こそが、ぼくらのもっともいとうところだ。

ところでこのように「アンチ・ジャイアンツ」をいうと、たとえばシーズンちゅう巨人が連敗したときなど、「さぞかしいい気分でしょうね」と問いかけられる。
おあいにくさま。
ぼくらはそんな低次元なことにとんと関心を持ちません。

誤解を避ける為に、なによりもまずぼくらが信奉する「純パ思想」について、いくらか解説を加えてみたい。
この思想の目標は、20世紀を通じて全世界の社会的、政治的、経済的テーマであった「富の再分配」にも似て、日本のプロ野球における「観客の再分配」なのである。

しかし、この目標を達成するのは、いわば付和雷同型の日本人のメンタリティーを改造しなければならないことであって、もっと大げさにいえば付け焼刃の民主主義をこの国の風土に定着させる作業であり、1朝1夕になしとげられるものではない。

いや、大げさではけっしてなく、パ・セ両リーグの平等化は、民主主義の根幹に迫るものである。

そもそもセ・リーグとはなにか。
これは無意味ではなかろうか。
それは、旧式の西部劇のようなものだとぼくらは思っている。
ジャイアンツだけが白人で、あとのチームはスーやシャイアンやアパッチなどのインディアンだ。
ときには白人が追い詰められて窮地に陥りはするが、最後には白人が勝利者になって、ハッピーエンドになるのが理想の展開であるらしい。
その証拠は、セ・リーグ史における巨人の優勝の異常な頻度となってあらわれている。

もっと歴然たる証拠として、1昨昨年、あるスポーツ雑誌に掲載された、その家元チームの元監督KとFによる、つぎの対談を読む事ではっきりする。
F「最近、子供がどんどん野球離れしていく。これもドラフトの影響だ。巨人にあこがれても、ふくらんだ夢がブチ壊されてしまう。教育的にも悪いです」
K「なにもチームの均等化を図ることはないんだ。今のような仕組みでは、いつまでたっても理想のチームなんてできるわけがない」

この「巨人帝国主義者」どものゴウガンなる発言を見よ。
Fの「教育問題」とは、何と逆立ちした意見であることか。
彼らが自負する特定球団の人気とは、彼等と共謀するマスコミによってつくられたものなのだ。

その結果としての、プロ野球は12チームあるのに、1チームにだけに少年があこがれる現象とは、それこそ教育問題ではないか。

そしてkの発言は、ただその球団を常勝チームにする事だけが、プロ野球のあるべき姿だと言い放っているのである。

つねに同じチームが優勝するのが、なんでスポーツの理想像であるものか。
つまりは往年のプロレスで、力道山が際限なく勝ちつずけたのが、彼等の夢なのである。
プロ野球をプロレスにしてたまるか。

いや、こんな比喩を用いたら、いつだったかチャンとアントニオ猪木が脳震盪を起こすことを示してくれたプロレス関係者だって怒るかもしれない。

スポーツとは民主主義の根底に通じるもので、機会均等であり、同じスタートラインからスタートする。
それでこそゲームが成り立つ。
その中に、1つでも常勝が約束されているチームが存在したら、それはスポーツではなく、単なる興行であり、見世物である。

それほどそのチームに優秀な選手を集めたければ、いっそこの家元チームは私企業たることをやめて、「民営化」の逆を行き、国家に買い上げてもらい、「国立球団」にすればいい。
そして共通1次テストで優秀な選手を集めて、残りの選手を他の私立球団に分配する。

それならお客は喜ぶだろうか?
ところがそれに似たことはチャンと行なわれていて、現に1位指名した選手を唯々諾々と家元チームに譲り渡したチームがあったことは、記憶に生々しい。
そしてオーナーのなかには、自チームが白人になってはならないインディアンである事をキチンと心得ていて、「巨人あってのセ・リーグ」であることを公言し,真偽は知らず「自チームの優勝は望まない」とまでいう人物がいるらしいのである。

そのリーグだけが陽を浴びている。
テレビにはそのチームを中心にしたカードだけが連日映り、スポーツ紙の1面はつねに巨人で占められる。
そのお裾分けにあずかるセのインディアン・チームは経済的にうるおうというただ1つの理由だけに喜ぶ。
この風潮はそれこそ教育問題にまで及んできて、2、3年前1位に指名されたある高校選手は記者会見で、
「セに指名されて光栄です」
と、ぬけぬけと発言した。
キミたちの教師たちはいかなる民主主義教育を行なってきたのか。
親の顔もみたいものである。
この記事を読んだ、あるパ・リーグファンの小学校の先生は、ぼくにしみじみと語ったのだ。
「小学校の時から、プロ野球には12球団あること、マスコミにまどわされず自分の意志で好きなチームを決めることを子供たちにしっかりと教えなければなりませんねえ」

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「巨人軍は不滅」ではありえない!


この巨人帝国主義を拝する果ては、Nが引退するに当って語った。
「巨人軍は永久に不滅です」
を、名セリフとたたえる愚挙に結びつくことになる。
巨人軍(軍がつくのが暗示的である)が不滅でも、相手が不在なら野球は成り立たないだろう。
だから「セ・リーグは永久に不滅です」といったら、まだ少しはましなセリフになるが、それではぼくらパ・リーグファンはカンカンになって怒るから、「プロ野球は永久に不滅です」というべきだった。
しかし、それではプロ野球が膨大な野球人口によって支えられているという広い視野がかけているから、「野球は永久に不滅です」といった方がもっとよい。
しかしながら歴史をみれば、残念ながら野球が今後何10世紀後まで永久に不滅であるとは信じられないのである。

ケマリを楽しんでいた平安貴族も、よもやこんな面白いスポーツ(?)が亡びるとは思っていなかったに相違あるまい。
生者必滅、栄枯盛衰、亡びてならないのは民主主義を体現するスポーツであって、「スポーツは不滅である」といってこそ真の名セリフであったのだ。

このように考えても、アンチ・ジャイアンツを呼号して家元チームにかしずくセの小坊主チームを声援する事が、いわば単に読売興行をする事であり、いかに虚妄であるかは証明されるであろう。

なにがぼくらが愛するプロ野球を、このようないびつな姿にしてしまったか。
それは今日、第3の権力と呼ばれるマスコミの暴力である。
家元チームを拡販道具と考える、自称公器の某一般紙は論外として、スポーツ紙までがそうである。
おおかたのスポーツ紙の1面は僕等パ・リーグファンには無縁である。
パの記事はときには6面にやっと現われることがある。

たかがスポーツ新聞とへりくだるなかれ。
スポーツと新聞は共に公正であるべきことで同義反復とすらいってよく、むしろ一般紙よりも崇高な使命を帯びていなければならないのですぞ、記者諸君。

けれどもプロ野球を報ずるマスコミが、2リーグ分裂の当初からこうでなかったことはたしかである。

自分史をたどれば、ぼくは1リーグ時代、フライヤーズの大下選手のファンだった。
ジャイアンツのKと人気を2分したスター選手。
だがこの国のドロドロした土の中から生まれてきたようなステレオタイプのKとくらべて、大下には明るさがあった。
手垢のついた言葉だが、暗い戦争の夜が終わって、光にみちた美しい午前がにわかにさわやかに展開したような、戦後民主主義の象徴をそこに見た。
余談になるが、垢抜けない精神主義を説くことが多かったKに対し、遊び人で知られた大下が、その外貌の下で実は努力一途、真面目一筋の人物であったこと、つまりはシャイな二面性を持つ都会人であることは死後公開された日記で知られるが、これは後の話。
なお余談を記せば、彼が現役引退後、監督業などに失敗を重ね、若死にしたのに対し、体制の権化、Kは繁栄を重ねた。
もちろん、だからといって
「善人は亡び、悪人は・・・」
とは、口がさけてもいえない言葉だが。

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セとの別れ

そこでぼくは当然のように、2リーグ分裂に際して大下の所属したパに移行したのだが、このへんでぼくら年輩のパ・ファンはそれぞれ動機がちがっていて、ことにオールド南海ファンには、この分裂騒ぎの契機のひとつになった別所引き抜き事件で、巨人=セ嫌いを決定的にしたという人が多い。

この時ぼくは、フランチャイズ地図を見渡しつつ、一抹の危惧を抱いた。
福岡の平和台はよい。
だが、中京の大市場を独占する中日がセに属したこと、そしてパ加盟が噂されながら阪神が土壇場でソロバン勘定で(といわれる)寝返ったのは、まずい。
なによりも致命的だったのは、その事と少々矛盾するが、関西3球団がひしめいていたこと。

僕はこの時からパの運命を予覚した。
そしてその予覚ゆえに第1回日本シリーズから、松竹と対した毎日を声援した。
だがこの毎日は、実際は阪神の裏切りに怒った別当、本道、土井垣らが脱出して合流したのであるのに、「引き抜き」の汚名を受け、阪神ファンの悪罵の中で試合を進めなければならなかった。

一方、火種となった当の別所投手を擁する巨人のために、被害者の南海が、「百万ドル内野」の堅守を誇りながら、シリーズでたて続けに3度敗れ、早くもパの前途には暗雲が漂った。

だがこの時西から希望の星が。
巨人を追われたた三原が西鉄監督に就任するやいなや、大下、中西、豊田らによる大型打線を組み、さらに鉄腕投手稲尾を立てて(・・・・・このあたり、通俗野球史の常套の羅列になってしまうのが照れくさいが)、1956年から対巨人日本シリーズ3連勝。
ことにその最後の1958年には、3連敗後の逆転優勝をなしとげた。

しかもその翌年は、捲土重来を計る南海ホークスが杉浦投手を獲得して巨人を相手に、史上初の引き分けなしの4連勝。
続いて1961年は、有名なスタンカの1球の誤審事件に端を発する乱闘事件があって、南海がふたたび巨人に一敗地にまみれるものの、翌年、水原監督に率いられる東映フライヤーズが同じく日本シリーズ初出場の阪神を破る。
これは私事にわたるが、駒沢球場の常連であった僕には忘れられないできごとであった。

・・・・・どうやらこのあたりまでが、パがセに拮抗できた時代であったと記憶する。
もちろん実際には、「全国区」で知られる巨人のカードを持つセの観客動員に対して、パのそれが一度として凌駕したことはなかったし、まして東京地区のパの試合が、全盛期の西鉄を迎えてさえ満員の観衆で埋まることは、まれな例外を除けばなかったのだが、それはパがセに対して日本シリーズで常勝であれば、いつかは実現されることと単純に考えて、それほど意識することはなかった。

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悲運!パ受難の時代
本当のパの悲運は、例の「黒い霧」事件から始まる。
なぜか西鉄、東映などのパ・チームの中心選手が標的にされ、すでに毎日新聞が球団経営から手を引いたためパ・リーグはジャーナリズムから見放され、孤立無援の姿にさらされた。
一方、その深い傷につけこむように、セの家元チームのVが進行し、みるみる観客動員数の差はひろがって、パはセの半分以下、3分の1を数えるのみになった。
関東地区よりも関西のほうが、そのフラストレーションは大きい。
かつて南海が大毎、西鉄と対戦する時は大阪球場に常時満員の客を集め、パの金城湯地であった関西では、セの阪神ばかりが人気を集め、人々は意思を失ったようかのように甲子園へ甲子園へと吸い込まれていった。

経営難から、西鉄(のちに太平洋、クラウンライター)、東京(元大毎、のちにロッテ)、東映(のちに日拓ホーム、日本ハム)が次々に売りに出された。
みすみす赤字チームを、買い手がなかなかなく、1リーグ制への復帰まで噂されたが、このとき残忍なセ当局者の1人が、
「合併するなら対等合併ではない。吸収合併である」
といい放ったのは、忘れることができない

やや分析的になるが、パの人気に壊滅的な打撃をあたえたものとして、テレビの茶の間への侵入、普及を書き落とすことができない。

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パ・ファンは、当然ながら球場へ行く
やはり郵政省により認可された、本来公共のものである電波使用権を濫用するあるテレビ局は、同じ資本系列化にあるセの特定チームのカードだけを継続的に流して、いよいよ「家元制」を強化していく。
テレビの全国ネット化の当初、パのカードを放映する民間テレビ局もあったが、それは計画性のない散発的なものであり、視聴率競争が顕在化されるとともに、みるみる姿を消していった。

もはやテレビに映らないものは存在しなくなった。
ぼくらパ・ファンは、やはり巨人カードのみを伝える実況放送をきくよりほかないが、それは途中でアナウンスされるパのゲームの途中経過を知るのが唯一の目的で、放送される試合中継には耳をふさぐという、超人的な克己心のいる作業に専念する明け暮れになってしまった。

観客減から経営難にあえぐパの球団には、それゆえに球場難の運命が待ち受けていた。
ことに「家元チーム」が威圧する東京地区では、その受難が甚だしかった。

後楽園球場にはパの大毎以外にセの巨人、国鉄がひしめき、大毎は東京と名を変えて、自ら下町に東京球場を建設し、移らざるをえなかった。
だが、この球場は地の利のよくなさなどから10年後に破綻して、球団もロッテに売られ、ジプシー生活を余儀なくされることになった。

一方、今もぼくらの美しい一場の夢になっている駒沢球場の東映フライヤーズは、東京オリンピックを前に立ち退かされた。
そして、当時「日本一美しい」とたたえられた神宮球場に迎えられてホッとしたのも束の間、あとからやって来たサンケイ(元国鉄、のちにヤクルト)に追われた。
この奇怪な事件は、のちに横浜に市民球場がスタートした際、ロッテの本拠地を噂されながらセの大洋に奪われて、逆玉突き現象的にボロい(?)川崎球場をあてがわれたのに似て、興行不振→球場難→観客減という悪循環に泣くパのチームの宿命の一端である。

さいわい、東映フライヤーズは買い手のつかぬままに、日拓ホームという奇妙なスポンサーをへながらも、安定した親会社、日本ハムの手にゆだねられて、ぼくらの胸をなでおろさせた。
東京球場がとりこわされると、パを見ることができるのは、このチームがホームグラウンドとする後楽園球場のみである。

テレビやラジオが放送してくれないから、われわれパ・ファンは球場に足を運ばざるをえない。しかしこれはプロ野球ファンの本来あるべき姿であり、大きな喜びといえる。

だがナイターにかけつけるために水道橋駅に降り立つと、そこからのぞけるジャンボスタンドは、夕暮れの中に空しく電灯に照らされて、人っ子一人見当たらず、青と赤に塗め分けられた座席だけが、ヤケに鮮やかに映っていることが多い。
「アレッ。野球やってないのにライトがついてらあ」
「バカ。パ・リーグの試合なんだよ。いつもガラガラなんだ」
プラットホームの高校生らの不快な囁きを耳から追い払うように、早足で球場へ。
ところがここからが一苦労なのだ。

信じない向きもあるかもしれないが、パのゲームにもダフ屋が出ているのである。
ところが彼等は常態に反して切符を正価より安く売るのだ。
どこからかタダで配られた入場券を集めてきて、なにがしかの値段で客に売りつけるのであるらしい。

このダフ屋諸氏の商売熱心にはホトホト感心する。
が、断固として正規に入場券を求める。
それはぼくが型通りの法治主義者だからではない。
この赤字チームをひきとり、パを救ってくれた大社オーナーへの感謝の、ぼくなりのささやかな意思表示なのである。

だがそのためには、彼等の前を通るとき野球を見にきたのではないというふりをよそおいながら、油断を見すましてスライディングよろしく、売り場に滑り込まねばならぬ。
間一髪、あとに
「安い切符があるのになんでそこで買うのだよッ」
という無念そうな声が残る。
なんというスリル。

ときには座席だけが見ているというていのガラガラのスタンド。
勝敗などどうでもいい。
明日客を呼べるようないい試合さえやってくれれば。
こうなると「パ・リーグ会長」の心境である。

こうしてパのゲームに通いつめながら、ときおり、俺はだれに頼まれたわけでもないのになぜここに座っているのだろうと、自分自身を疑うことがある。
もうハッキリいえば、野球などどうでもいいのである。
ただ1人でも観客をふやしたい一心なのだ。
バカバカしいと笑わば笑え。

テレビに映る巨人戦は連日の満員を告げていた。
同じ野球をやりながら、ドラフトやトレードで、偶然にもパに属している選手たちである。
ぼくは、この甚だしい社会的不公正に激しいいきどおりを覚えながら、テレビに映らないいとおしい選手たちの姿を追っていた。

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パ、夜明のとき
それとともに、毎朝の新聞をあけて、勝敗よりもなによりも観客数をかぞえ、セのそれと対比するのが日常の習慣になっていった。

関西は主として西本監督の努力によって、灰色といわれた阪急、万年最下位チームでお荷物と呼ばれた近鉄が着実に力をつけ、両チームが激突する西京極決戦。
藤井寺決戦などがときおり超満員の観客を集めたと報じられるが、残念ながらぼくら東京のファンには遠来のひびきのようである。

パの球団が、このころ経営努力を怠ったわけではけっしてない。
東京ではとりわけ日本ハムは熱心で、「少年ファイターズの会」を勧誘し、夏休みなど、実に4万人のファンを集めたことがある。
だが将来はともかく、彼らはまるで野球を知らない。
ゲームそっちのけで通路をウロチョロしている。
子供にせがまれてお伴してきたのであろう。
所在なさげにお弁当を開けたり閉めたりしている若いお母さん。
試合はもう一つ盛りあがらない。

ときおり、他球場の途中経過のアナウンスがきこえてくる。
「ヤクルト対巨人は、2対4で巨人がリードしました」
ワーッという大歓声。
これじゃ、パ・リーグの選手たちはあまりにもかわいそうだ。

ただひたすら、このチビッコ諸君が今日のゲームを覚えていて、テレビの悪影響を受けることなく、成長の暁、21世紀に至るまでパのファンであり続けてくれと心の中で願いながら、球場をあとにする。

例のV9時代、唯一の鬱憤晴らしだったのは、オールスターで完勝を続けていたことである。

「黒い霧」で消された西鉄の池永によれば、パの陣営は、
「あいつら、人気だけや」
といいながら長池(阪急)、土井(近鉄)らがポンポン、ホームランを打ったのだそうである。
そのパのホームラン王、長池に向かって「ON」の片割れ、Oが、
「君がセにいれば大スターなのになあ」
といったのが報じられて、ぼくらをカリカリさせたのも当時である。
不世出の選手であり、南海のホームラン王、やがては監督までつとめて、そのトータルの「運動量」においてプロ野球史上空前絶後と思われる野村が、
「自分は、野に咲く月見草」
とボヤいたのは、あまりにも有名だ。

しかしどんなに数多くのセ・チームファンには日かげに映ろうとも、ぼくらにとってはパの球場にいるときが、精神の飛翔できる唯一の時間である。
一歩外に出て、家に戻れば、
「ファイトでいこう」
「小さな巨人です」
はまだしも、
「お菓子のホームラン王」などという、キテレツなコピーまで含めた、おぞましくも不快なコマーシャルにとり囲まれなければいけないのだから。

だいたいが、家元チームの選手ばかりが金太郎飴のようにコマーシャルに現れるというのが不正である。
ついにはこのコマ―シャル料目当てで、ゴリ押し入団を図る。
財テクで名高い某投手、さらにはビルを建てたい目的でセガレを入団させるオヤジまで現われる始末。
ともあれこの電波の独占は、ヒトラーがラジオを巧みに操って人心をとりこにしたのに似て、ファシズムの前夜もかくやと疑わせる。

セ傾化の加速するところ、アッと驚くことまで起こりかねない。
セ政権が樹立し、「巨人軍50周年切手」どころか、新札が発行されて、1万円は正力亨、5千円札はK、千円札がN、国旗はYGマーク、国歌は巨人軍の歌。
憲法は改正されて、第1条には、「巨人軍オーナーは万世一系である」と書かれている・・・・

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「ノーモア・ジャイアンツ」―後楽園に足立投手の銅像を
ときたま「公正」を看板とするNHKばかりでなく、民放によるパの放映があるときがある。

これはテレビ局内部の人の話によれば、テレビ局が日本シリーズの放映権獲得を前提に、視聴率を犠牲にして奉仕的に行うのだそうである。
たとえば土曜日の午後、大いに奇貨としてぼくがオフィスのテレビの前に座っていると、札付きの巨人ファンが通りかかり、
「オヤ、野球をやっているな」
といったのはいいが、すぐつまらなそうに
「なんだパか。スタンドがパラパラだ。アッハッハ」
と不愉快な笑いを残して去っていく。

このような屈辱の体験は、パのファンなら大抵一度ならず持っていると思う。

だがぼくらにいわせれば、こうしたセ・ファンの心理こそは、おそらく死ぬまで解けないナゾである。

超満員とガラガラなら、ガラガラの方に主体的関心を移動させるのが、物理的にも理にかなうのではないか。
そこで、この、
「アッハッハ」
という笑いは、ききすごすことのできない冷酷な響きを持つ。
極端に拡大解釈すれば、彼らは溺れかかった子供のそばを通りかかっても、
「アッハッハ」
と笑って立ち去っていくかもしれないのである。

セ・リーグ系のスポーツ紙のマイナー視はもっと甚だしい。
「巨人の選手はつねに満員の観客に見守られているから、手を抜くことがない」。
などと書く。
そうだろうか?
本当の職業倫理からいえばむしろ、スタンドに関係なく技を磨くのが真のプロではないか?
この事は解説者に転向しても味のある発言をするのが、野村をはじめパ出身者に多いのでも立証される。

このような長いトンネルを過ぎて、ようやくパに曙光がさし始めるのは、ちょうどV9が終わるころである。
1974年、まずロッテが村田の快投、有藤、弘田、山崎などの豪打で、シリーズで中日を倒す。
このときテレビで初めて村田のまさかり投法を見た隣りのセ・ファンが
「すごい投手」
とうめくようにいったのは、パ・ファンとしてのぼくの一つの快感であった。

翌年も、阪急が山口高志の豪速球で1勝も許すことなく広島をなぎ倒す。

さて1976年。
この阪急が、Nが監督であるセの優勝チーム、巨人とあい対した1戦こそは、日本シリーズ史を飾る華であった。
なおこのとき、マスコミは、
「巨人を倒してこそ阪急は日本一」
などと書いたが、このことを前年のセのペナント・ウィナ―広島のファンはどうきいたか。
セ・リーグの正体見たりではないか。

シリーズは阪急が3連勝して楽勝を思わせたが、そのあと山口高志が崩れるなどで3連敗。
そしておおかたの巨人ファンが、18年前、西鉄に食らった3連勝後の逆転負けの屈辱を晴らす好機と期待したであろうが、ここに好漢、足立投手が立ちふさがった。

この試合ほど、われらパ・ファンの魂をゆさぶったものはない。
なにしろふだんはただ、「よい試合をしてくれ」とだけ願ってパの観戦をして、勝ち負けに一喜一憂することがないのだから、日本シリーズにだけ1年分のエネルギーが投げこまれているのである。

後楽園を埋めた観衆の99.9パーセントまでが巨人ファンと思われ、試合は巨人有利に展開したが、森本の2ランで逆転。
さらに福本がソロホーマーで追い打ちしたが、阪急選手がいくら打っても、スタンドはシーンとしている。
そして再逆転を期待する巨人ファンの狂援。
それはベンチにいた山田投手によれば、「地鳴りのようなひびき」だったとか。

このとき、マウンド上の足立は、
「もっと騒げ、もっと騒げ」
そして、
「たかが野球じゃないか」
と自分自身にいいきかせながら投げ切ったという。
この足立の強靭な精神力は、「5万人を相手にして巨人を倒した」とたたえられている。
いや、テレビに釘付けになっていた敵ファンを数えれば、何千万人を相手にしたかもしれないのである。

翌年も同じ相手に対し、阪急が難なく連覇。
このとき、ある若いパ・ファンは、感動のあまり、こう書いた。
「若者よ!1965年〜73年の読売帝国主義時代の悲惨さを忘れるな!1974年〜77年のパ4連覇時代、つまりパ・リーグデモクラシーが花開いたあの時代の開放感を手放してよいのか。世のセ傾化にストップをかけるのは次代を担う君たちではないか。若者よ!再びセの入場券を手にするな。ノーモア・セ・リーグ!ノーモア・ジャイアンツ!」

ぼくらはいつの日か、「巨人家元制を倒し、この自称家元チームの「汚名」をみごとに守った足立投手の銅像を、後楽園に建てたいと思っている。
球場に行き来する、全巨人ファンに仰がせるために。

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ドラマの誕生!'80年、興奮の日ハム・近鉄戦
経営難次ために一時は解散、空中分解され噂されたパ・リーグ全体の観客動員数も、どん底を過ぎて上昇の気配をみせる。

セ当局の憫笑を浴びながら人気回復をめざして採用したDH制と前後期2シーズン制。
ことに後者は当初、阪急、近鉄、ロッテ、日ハムなどの競り合いがあったために奏効、着実に観客をふやして、1979年には初めて五百万人を突破する動員を果たした。

このころまた、パには思ってもみなかった強力な援軍が加わった。
同じ年、「黒い霧」のダメージからついに回復することなく下位をさまよい、西鉄→太平洋クラブ→クラウンライターと親会社が変転したライオンズを西武が買いとり、驚天動地の大資本を投下して所沢市に日本一を謳われる整備された西武球場を建設したのである。

栄光の歴史にいろどられ、潜在ファンを多数抱えながら、古巣の博多の平和台を捨てなければならなかったのは惜しんでもあまりあるが、やむをえまい。
しかしこの時、セから田渕ら人気選手を獲得する為、握り飯と柿のタネを交換するように真弓、竹之内、若菜ら実力ある選手たちを譲り渡さなければならなかった。

そして1980年10月7日、後楽園で行われた日ハム・近鉄戦こそは、語りつがれる劇的なゲームであった。
この試合で日ハムは引き分けでも後期優勝を達成し、一方近鉄も勝てば優勝につながり、しかも翌日この近鉄と対戦する西武にも希望の灯がともる。

後楽園球場はパでは稀有の超満員の観客を集め、両チームへの声援は応援団の指揮など必要としない心からのものだった。
ぼくはあわや札止めの憂き目にあうところで、ボールの行方もよく見えないジャンボスタンドのてっぺんにやっと席を見つけ、「長年のパ・ファンを遇するのにひどすぎるぞ」と内心グチリながら、しかしこの上ない満足感で5万人の大観衆を見下ろしていた。

のちに親しくなったあるパ・ファンは目を疑うあまり、本当に空席はないかとスタンドを駆けまわったとか。
またある芸能プロダクション社員のファンは、感動のために体のふるえをとめることができず、やはりふるえる手で、持参していた流行歌手の新曲が入ったテープを消し、応援の声を録音してしまったという。

しかも試合内容は2転、3転し、もつれにもつれたまれにみる好ゲームで、最終回裏には1点差で日ハムのクリーンアップが打席に立つというスリリングな展開をみせた。

ぼくの隣りのアベックの男が口走った。
「パリーグの方が面白いなあ」
嬉しい言葉だった。
ぼくはこの試合を、彼らにこのぼくが見せてあげているのだとでもいいたい優しい気分になって、1人大きくうなずき、彼等の前途を祝福したのである。

だがこれほどの試合すらも、日本中の野球ファンの目から覆い隠かくしたいかのように、テレビ放映はいっさいなかった。

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マスコミ史上に残る「一大誤報事件」
明白にパに球史に輝く大記録が樹立されながら、マスコミにほとんどネグレクトされたのは、1981年の福本選手による盗塁世界記録達成だ。
彼はことのほかパに観客を集めることに熱意を披瀝し、オールスターでフェエンスによじのぼって阪神のTのホームランをもぎ取るという妙技を見せたとき、試合後の記者会見でこの大選手みずからが、
「パにぼくよりもっといい選手が一杯いるのです。どうか見てください」
と訴え、またあるときには、
「西宮球場に平均2万5千人を集めるのがぼくの夢」
と涙ぐましく語っていた。

少し前、巨人のOがホームランの世界記録を打ち建てたとか打ち建てるとかで、連日マスコミが騒いだことがあった。
日本の狭い球場で、大リーグなら過半が外野フライになる「ホームラン」がなぜ世界記録なのか。
あの空騒ぎはマスコミ史上に残る一大誤報事件であり、本来なら日米間の外交摩擦に発展してもおかしくないシロモノだったが、だれもそのことをいいたてる者がなかっただけでなく、自民党政府はなんと「国民栄誉賞」をあたえたのである。

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福本にこそ「国民栄誉賞」を!
それとくらべると塁間距離は同一。
捕手の肩の差を指摘する声も出ようが、その分は日本の投手の牽制術が上まわるといわれるので差し引きプラスマイナス・ゼロである。
とすれば福本の記録こそは正真正銘の世界記録ではないか。

それならいっそう「国民栄誉賞」の対象でないはずがない。
もしくれないのなら、
「福本に国民栄誉賞を!」
のシュプレヒ・コール。
―というのが、僕の空想の中の光景だったが、現実は総理府からは何の音沙汰もなく、大阪府民栄誉称がもらえただけだった。
この差別待遇は、ひとえにパ・リーグでは票にならないという冷酷な政治的打算が働いたからにちがいない。

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DH蔑視とこっけいな「純血主義」の崩壊
パがとったDH制に対するセの蔑視も甚だしい。
野球の伝統を傷つけ、邪道であるなど、例によって正統意識まるだしの反対理由をのべたて、オープン戦、オールスターなどで頑として応ずることなく、ことにパは日本シリーズできわめて不利な立場に立たされるが、野球記録研究家の宇佐美徹也氏は、これらの理由にこっけいなものが多く、むしろ無用の代打を必要としなくなったので、投手寿命が延びたなど利点が多いと指摘した。
そして、セの投手陣の打率のおどろくべき低さをあげて、本当に反対するならもっと真剣に打席に入れとも批判した。

その合理性から実業団、日米学生野球なども次々と採用に踏み切り、指名打者制の波はとどまるところなく押し寄せてくるのに、1984年来日したオリオールズとの「日米決戦」(!家元チームが対戦する予定だったのに、広島が出場した)では、アメリカン・リーグの指名打者制に対して9人制で対戦する非礼まで演じ、その片意地はくるところまできたとしか考えられない。

それでいて、指名打者制を攻撃する言いがかりとして、西武に移って1983年対巨人日本シリーズに活躍した田淵選手について、
「セに指名打者制があったら、彼を譲り渡すことはなかった」
といった。
これは論理学の教科書にのせてもいいような詭弁の見本だ。
片意地にオーバーを着ないでカゼをひいた男が、相手のオーバーが悪いと文句をつけている図である。
もしくはこわれたと思ったオモチャを友達に譲った子供が、そのオモチャが動いているのを見て、返せとダダをこねている光景でもある。

もっとこっけいなのは、V時代家のとチームが誇示した「純潔主義」の崩壊である。
当時彼らが誇った大看板、ONが衰え始めると、背に腹はかえられず、外人選手を採用せざるをえなくなった。

この時の監督はNだったが、彼はあるとき、
「巨人は黒人選手はとらない」
といったのである。
見方によっては一種の差別発言だが、それよりもフロントの部外秘の申し合わせを口走ってしまった彼のバカ正直さに、このチームのバカバカしいにもほどがある家元意識をダブらせて、ぼくらは腹をかかえて笑いころげたものである。

その言葉通りに「純潔」は当初「白人選手」にとどまっていたが、いつのまにか「黒人選手」になってしまったのは知る通り。

黒人選手の力強さ、美しさはロスアンジェルス・オリンピックでもぼくらを堪能させてくれたものなのに、なんと云う時代錯誤、唯我独尊。
このご都合主義的なプロセスは、市場開放の外圧に抗することができず、なしくずし的に自由化させられていく日本経済にも似て、閉鎖性、島国根性丸出しである。

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日本の「民主主義度」のバロメーター
毎朝、新聞をひろげては観客数を点検するのが日常になってしまったぼくらにとって嬉しいことに、1年に1、2度かせいぜい数度にすぎないのだが、全観客動員数がトータルでセを上回る日が見当たるようになった。

これには条件が要る。
広島か巨人が独走して、この両チームの試合が広島球場で行われる日。
これが満員になるのは致し方ないとして、広島球場は器が小さい。
そしてこの時、巨人によりかかっているセの他のチームは満員の客を集めることができない。
他方、この日、パ・リーグが西武球場でほぼ満員の客を集めえたとき。
これに関西で首位を争う好ゲームが加われば、ようやくセを上回る。

この日、ぼくは1日中口笛を吹きたいような爽快な気分にみたされる。
この喜びはなにごとにも換えがたいから、21世紀にでもなって連日パがセを上回りでもしたら、なにを楽しみに生きようかと今から心配している。
とまあ、これはなかば冗談だが、いずれにしてもパの観客動員数は、この国の民主主義のバロメーターである。

なぜパは民主主義か。
それにはまずセの非民主主義から説明する必要があるだろう。
重複することになるが、セには常勝を義務付けられているチームがあるということである。
率直にいって日本ハムや西武が負けても、ハムの売れ行きや西武鉄道の乗客数に致命的な影響があるとは考えられない。
これに対して、新聞社やテレビ局が特定のチームに肩入れしたらどうなるか。
発行部数や視聴率を通じて、存亡の危機に立たされかねないのである。

25年以上も前、ぼくは当時人気絶頂であったパの看板カード、大毎・南海戦の真夏の北海道遠征に、取材で同行したことがある。

その第1日は炭坑で名高い夕張市だった。
野原のようなあまり上等とはいえない球場で、試合前、急造ベンチから南海の鶴岡監督が出てきてブラブラ散歩していた。
すると、南海ファンらしい酔漢がからんだ。
「オイ!きょう負けたら承知しないぞ!」
この時の鶴岡のセリフを、ぼくは忘れることができない。
「野球は勝つことも負けることもあるさ」
そしてクルリと後ろ向きになったのでなにをするかと思ったら、草むらに向けて立ち小便を始めた・・・・。

この言葉こそスポーツの真骨頂である。
「勝つために全力をつくす」と、「負けることもある」のが矛盾しないのが、スポーツ精神だ。
負けてはならないのは戦争だけである。
戦争とスポーツのこの混同が、高校野球にまで伝播して、山元七平氏のいう「天秤の世界」のように、一時はやったごとく、敗れたチームが向こう側の秤皿に、甲子園の土という一盛りをのせざるをえないという愚行を生んだのだ。

そもそもがこの国のプロ野球が、1新聞社の拡販の道具として発祥したことが不幸である。
ここまでぼくはこの自称家元チームのことを「巨人」と便宜的に書いてきたが、本来「東京読売ジャイアンツ」が正式の名称であるから「読売」と書くべきものである。
つまりスポーツをよそおう「巨人」は"詐称"で、事実は親会社の「読売」だけが実在するのではないだろうか。
ここからルール破り、情報操作などのありとあらゆる奸策が派生する。

このような「戦争意思」を含むチームを中核とするセントラル・リーグなるものは、本当にスポーツといえるだろうか。
KとFの対談が自白しているように、最初から機会均等を守る意思がない。
だからこそ、パ・リーグ創成に際して中心人物の1人であった、いまあげたばかりの鶴岡は、のちにいみじくもこう語っているのだ。
「ワシらは、別所引き抜きなど数々の巨人の横暴に堪えかねて、巨人のいないリーグをつくろうとしたのだ」

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思想結社「純パの会」の成立!
「純パ思想」を実践する事はそこで、民主主義の具現としてのパ・リーグを守ることであり、つまりは「反セ平和運動」である。

このような志を同じくするパ・ファンたちとぼくらは、「後楽園パ・リーグ超満員記念日」の1980年10月7日を期して『純パの会』を創った。

もちろん利益団体ではなく思想結社であるので、フランス革命における山岳党、平原党のように、会員には信奉する主義主張によって多少の振幅はある。
たとえば「森(少し前は広岡)、高田を追放せよ」という極左過激派から、一時日本ハム監督を噂された元巨人監督のNを、「迎えてやってもいいじゃないか」という右翼日和見派まで。
そして多くの会員は、当然のことながら自分の好きなチームを持ち、同じリーグないの勝ち負けに一喜一憂する。
それも当然のことといえよう。
かんじんなのは虐げられてきたパの選手たちに対するヒューマニズムと、家元制のないパ・リーグの平等主義を愛するという共通点である。

だがここで、いくらかの警戒を唱える声もある。
これはときおりセ・リーグ系のジャーナリズムが謀略的に報ずるように、いま日の出の勢いの西武ライオンズが「第2巨人」になるのではないかという危惧である。

だが、ぼくにいわせればその心配は御無用である。
このチームの堤オーナーはプロ野球に自チームが参加していることについて、
「勝ったら喜び、負けたら忘れればよいのだ」
と公言した。
さすがはスポーツマン、ライオンズはよいオーナーを持ったものだ。

そしておんぼろチームとなり果てたこのチームを引き取り、近代的経営によって屈指の人気球団に仕立て上げたこのオーナーとフロント
の功績をこそたたえ感謝するのが、大人の見方だろう。

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「反セ平和運動」
現代は竹け槍で戦う時代でなく、資本と情報の時代。
情報については一手に握る敵リーグにとうてい太刀打ちはできないが、その資本力に裏打ちされたフェアプレーの精神は優にその「黒い手」に打ち勝つ力を秘めている。
ついにはセ・リーグ系スポーツ紙がいまいましげに、ときにはライオンズのカードを1面に掲載せざるをえない日が到来した事を、素直に喜びたいのである。

それよりもなによりも、この新生ライオンズがここ5年間に実に3度も日本シリーズでセの家元チーム及びその小坊主チームを破ったことは特筆すべきである。
なぜなら、日本シリーズこそは、「負けてはならぬ」戦さであるからだ。

このことについては、スポーツ精神とは「勝つために全力をつくす」ことと、「負けることもある」ことがなんら矛盾しないことだと述べたのと少々矛盾するのではないかという声も出ようが、これは本質的にちがう。
パ対セは平和思想対戦争思想、民主主義対ファシズム、スポーツ対見世物ないし興行であって、イギリスの首相チャーチルがナチスの侵攻を迎え撃った「バトル・オブ・ブリテン」に当って断固表明したように、「われわれは海で戦い、空で戦い、街頭で戦って」平和=民主主義=スポーツを守りぬかねばならないのである。

これが「純ぱ思想」であり、その実践が「反セ平和運動」である。

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純パ運動のゲリラ戦術
―――話が少し大ゲサに、かついくぶん大マジメになりすぎた。
「扶パ滅セ」の純パ運動の戦術とは、敵が強大であるので毛沢東戦法と同じく「本来ユーモアかと思えばマジメ、マジメかと思えばユーモア」といったふうに千変万化のゲリラ戦術であるべきである。
ふたたび「パ・リーグ文化」にふさわしく、諧謔の精神に立ち戻ろう。

『純パの会』には偉材が多い。
「偏セ値是正」を叫び、現役時代、児童がYG帽をかぶって登校するのに業を煮やし、これを禁止しようとしたという信じられないエピソードを持つ元小学校長先生。
喫茶店に入るとスポーツ紙を片端からパが1面になるように畳み直して出て来るという中年の日ハムファン。
テレビが放映してくれないからナイターにおもむかざるをえずと、店を畳んでしまった近鉄ファンの元中華料理店主。
後楽園球場で「パ・リーグを見よう」と書いた日傘をいっせいにパッとひろげようと提案している女性会員。
白馬にまたがり、5万人(そんなに入りきれないが)のファンを引き連れて川崎球場に乗り込むのを夢見ている自称(パ・リーグのジャンヌ・ダルク)の美女。
なかには親会社のチームが出場しているのに日本シリーズでパのチームを熱烈応援する某セ・リーグ系スポーツ紙の記者という「職を賭しての」ファンまでいる。

ある若いライオンズ・ファンは3歳の子を連れて西武球場にかよっているが、それは自分の子供をパ・リーグファンにするのさえ、テレビの悪影響を受けないうちの、
「3歳までが勝負」
だからと訴えた。

またある大学生はライオンズの制覇にもかかわらず、「読売帝国主義」は虎視タンタンとセ1色化を狙っているので、一瞬の油断も許されないと、つぎのように檄を飛ばした。
「パ・リーグファンにとって危機はすぐそこまで忍び寄ってきているといったほうが正確かもしれません。昨今の文部省による教科書の検定強化からすれば、近い将来、文部省が学校へのセ・リーグ教育の導入を図ることは間違いありません。
もしそうなれば、教科書においては"別所引き抜き事件"は"別所譲渡事件"と、"円城寺のミスジャッジ"は"円城寺の名ジャッジ"と史実の書き換えが行われるでしょう。また、学校がこういう事態になれば、そのセ・リーグ熱をあおる塾が世間に乱立するのは必至。
授業についていけない子供には、”戸塚セ・リーグスクール"まで準備されるに相違ありません」

このように、パ・リーグファンにはソフィスティケートされたユーモア精神の持ち主が多い。
ムキにならず、勝敗にそれほどこだわらず、野球は楽しく見たいという人々だ。
だからパ・ファンの増加は日本人の民度向上にもつながると思えるのだが・・・・

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パの観客がセをしのぐ日ー――20世紀に残されたロマン
いずれにしても、パの観客がセのそれを上まわるのが、「今世紀に残された、心を打つ唯一のロマン」であるという人々だ。

ところでこの熱烈なパ・ファンの胸奥にも矛盾した部分がわだかまっていて、とくに年輩のファンには、パの球場のスタンドには終戦後しばらくまでの、プロ野球のよき時代の残照があるという人が多い。
つまり昨今のコンバット・マーチに乗っての集団的応援ではなく、個人として選手に向かい、軽妙な野次を応酬していたあのころだ。

たしかに日本シリーズで見たあの家元チームの外野席の、踊ったり唄ったりしていた連中のあの狂援は、もはや野球を人生の比喩にする段階から過ぎて、人生を野球の比喩にしてしまった人々の哀歌のようにきこえたのである。

だが、さあそう考えると、ちょっとむずかしい自己矛盾が発生する。
実際にあるファンは、パの閑雅な風景を愛するので、
「これ以上ファンがふえて欲しくない」
というのである。
だれがどこのファンだろうが自分には関係がない。
たとえ1億2千万人がセ・ファンになっても、ひとり静かに釣り糸を垂れて太公望をきめこむというのだ。

その独立孤高の精神は大いに尊敬にあたいするが、しかしぼくはそれは、かつてのドイツ人の知性が内面性を重んずるあまりに政治に無関心で、ためにナチスの台頭を許してしまったのに似て、あまりに非政治的な態度だと思う。

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プラトンと故浦山桐郎の言を忘れまじ
プラトンは『国家論』の中で、
「政治への無関心は、愚者の支配を受けるという罰を受ける」
と説いた。
だいたい、1億2千万人がセになびいてしまったら、もはやパ・リーグを愛しようにも存在はしなくなるのだ。

『キューポラのある街』など、名もなく貧しい人々の哀歌を描く数々の名作を世に送り出した心優しい映画監督、浦山桐郎氏は若くして生涯を終えた。
この根っからのヒューマニストは、その生きざまにふさわしく阪急ブレーブスのファンであった。
多くのパ・ファンたちが、彼が後楽園球場で、雨の降るゲームで傘もさすことなく、ずぶ濡れになりながら数少ないファンの前で必死にプレーするブレーブス・ナインを激励していた光景を目撃している。

この浦山氏は日本人のこの偏セ現象について、死の少し前、球団の努力が足りないのではない、付和雷同の、
「日本人が悪いのだ」
と明快に発言した。
この言葉を、彼の遺言としてしっかりと胸に受けとめる必要があろう。

真の民主主義になかなかめざめぬこの日本人のメンタリティーに乗じて、セの巨魁の謀略はいまも着々と暗躍している。
1983年の日本シリーズに当ってこのチームの当事者はつぎのセリフを吐いたのだ。
「全日本人が巨人の勝利を願っている」
ではぼくらは日本人ではないのか?
このセ=巨人一色化の謀略が達成されたなら、ぼくらパ・ファンは強制収容所入りかボート・ピープルか、の選択を迫られることは必至。
この恐るべき運命を恒久的に免れるためには、パ・リーグ民主主義を全国津々浦々に伝えて、いつの日か「違憲合法」のこのセ・リーグを段階的に縮小し、解散に追い込み、民主的な新セ・リーグを結成させてこれをパ・リーグの指揮かで育成するまでの作業が必要だろう。

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チーム不調時にこそ球場へ!
そうはいっても、その道はけっして平坦ではない。

現実に戻るなら、いかにパ球団が経営努力を傾けても、セに観客動員で上まわる事は至難である。
最大の隘路は、フランチャイズが東京地区と関西地区に偏していることである。
いくらパ・リーグ民主主義の旗を振ったところで、たとえば平和愛好の広島市民にはパを見る機会が失われているのだから、パ・リーグファンになれといっても、そりゃムリな話。

さしあたってはライオンズに見捨てられた、しかし大票田を持つ福岡の平和台に1チームを移す、またあまりにも老朽化し、地の利の悪い川崎球場のロッテが新天地を見いだすなどの工作が必要であろう。
が、これらは貧寒たるぼくらファンの手にとどきかねる経営、行政サイドの領域である。

ただパ・ファンの同士に可能なこととして、1つだけお願いしたい。
1980年に
近鉄、西武、日本ハムなどがセリ合った結果として、パ・リーグは史上最高の570万の観客を記録した。
もはや600万人突破はまじかと思われたのに、以後5年間にわたって低迷した。
この理由は、前後期制覇や1チーム独走が続いたこと。
ぼくらが観戦しながら、下位チームを応援することが多いのは、このような大所高所からの見方であるからで、いくら強がりをいったところで、ファンの絶対数の少ないパ・リーグの観客増のためには、セリ合うこと、デッド・ヒートが必要条件である。

ではあるにしても、チームは毎試合懸命に戦っているわけなのだから、そうこちらの意図どおりペナントレースが展開するわけにはいかずAクラスとBクラスに劃然と分かれることがあるのはやむをえない。
そこでファンにパ・リーグ民主主義への責任を自覚してもらうために提言したいのは、むしろチームが弱いときほど、連敗が続くときほど、球場に通ってほしいこと。

何年か前、博多にプロ野球チームを再現したいと、署名運動が行われているというニュースが報じられた。
セ・リーグのチームをよびたいとのこと。
トンデモナイ!
博多なら道義からいってもパ・リーグであるべきじゃありませんか。

それはともかく、そもそもが稲尾が「黒い霧」事件でガタガタになった西鉄の監督を引き受けさせられ、苦労を重ねていたころ、ファンが侠気を出して盛りたててくれていたら、チームは身売りされずにすみ、いまとなって「九州に球団を」などと言い立てることはなくすんだのである。

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――以上がぼくの「全日本パ・リーグ党宣言」である。
多少屁理屈も交えたのでこの自称「反セ文学」の一文を一場のユーモアととるもよし、大マジメに、パ・リーグ民主主義の狂信者の「全日本パ・リーグ党宣言」と読むもよし。
こんな駄文よりは、つぎに掲げるこれこそ「反セ文学」の真の傑作、「純パの会」の1員がつずった真情溢れる詩の一読をーーーー

耳をすましてごらん
ほら聞こえてくるだろう
小さいけれど力強い足音が
あれはパ・リーグの選手たちさ
みんな胸を張って歩いている

悲しい日もあったことだろう
テレビにも映らずまばらな拍手の中で
猛烈な打ち合いを演じ
息詰る投手戦をみせてくれた選手たち
実力のパという誇りを持って――

つらい日もあったことだろう
チーム名やフランチャイズが変わって
そんな逆境にもめげず
力いっぱいプレーしてきた選手たち
輝かしい日が来るのを信じて――――

耳をすましてごらん
ほら聞こえてくるだろう
どこからともなく沸き起こる歓声が
あれはパ・リーグのファンの声さ
日毎にその数は増している

巨人軍が全盛のころは
”実力のパ”も空念仏に聞こえたが
それでもガラガラのスタンドから
以前にもまして大声で
パの選手に声援を送っていたんだ

人気の面でもセを追い越すのを
お父さんはこの目でしっかりと見たい
もしそれが叶わなかったら、息子よ
墓参りの時に知らせてくれ
パの試合は連日超満員ですー―――と

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●吉永小百合さんの熱いおことば「野球はパに限ります」
1986年度ペナントレースは、西武、近鉄、阪急が最後までデッドヒートを演じ、西武、日本ハムについで阪急、近鉄が球団史上初の100万人動員を達成して、パ全体でも空前の600万人の大台を突破した。

しかも余勢をかって、日本シリーズでは西武ライオンズが、大リーグ史にもない、このチームの前身、西鉄が演じた1958年の対巨人3連敗後の逆転優勝を再現。
積悪のセを蹴散らしてわれら「純パの会」が大いに勝利の美酒に浸ったのはむろんのこと、パは清原を始め、渡辺、工藤、金村、石本、村上、白井、古川、横田、田中雄、松浦、西川らヤング・パワーの台頭がいちじるしいのにくらべ、マスコミがどうコジつけようにもスター不在のセ。
いよいよと来たる年こそパが猛進する絶好の機会と希望に溢れた。

女優の吉永小百合さんも、過日NHKのサンデー・スポーツ・スペシャルに出演した時、つぎのように語ってくれた。
「よく私のこと、清原くんのファンで、熱烈な西武ファンだと思われているようですが、本当はパ・リーグのファンなんです。パの野球には野球というスポーツが本来持っている、荒々しい、格闘技的な要素がとってもあると思うんです。
それと、何より指名代打制というのは、実にいいアイデアだと思うし、それによってゲーム展開が変わってしまうなんて、見ていて面白いですね。
私は、テレビ派というより、実際、球場にいって、あの雰囲気にひたるのが大好きなんです
たとえば去年の西武・近鉄戦(21回戦、藤井寺)。7回まで10対5で西武がリードしていたのに、終ってみたら10対12で近鉄が逆転しちゃったゲーム。この意外性、セの野球にはゼッタイありませんよね。
まだまだありますが、私にとっては、野球はパに限る!です」

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●されど、日本に真のデモクラシーの日近し
さすがは「純パ監督」故浦山氏に見いだされ、育てられた女優。
今や日本を代表する大女優のこの「純パの弁」は、師の純パ民主主義をりっぱに継承するものと、ぼくらを狂喜させ、日本に真のデモクラシー近しを思わせたのである。

だが悲喜交々に至る。
寝耳に水の、清原と並ぶパの超目玉、落合の中日移籍の報。
たちまちマスコミは落合ブームに様変わりし、またしても「反セ平和」の道程の多難を知らされた。
だが、ぼくらは21世紀にはパ・リーグの「千年王国」が到来することを信じて、「純パ思想」を固く守りぬく。

平和と民主主義を愛する諸君!パ・リーグを見よう!

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